平成24年度同窓会・懇親会

日  時 : 平成24年8月12日(日)午後3時~
場  所 : ホテルアソシア豊橋
式次第 : 定期総会(小坂井高校同窓会会長より)
懇親会(実行委員会あいさつ・記念写真等)
平成24年度同窓会・懇親会 全体記念写真①

平成24年度同窓会・懇親会 全体記念写真②
【写真:全体記念写真】

思い出のショット

  • 司会 同窓会副会長 原田
    司会 同窓会副会長 原田
  • 同窓会会長 木村会長 挨拶
    同窓会会長 木村会長 挨拶
  • 村上校長 挨拶
    村上校長 挨拶
  • 会計報告 山田 佳史
    会計報告 山田 佳史
  • 乾杯!
    乾杯!
  • 花束贈呈
    花束贈呈
  • 歓談風景♪
    歓談風景♪
  • 17回生 同窓会理事
    17回生 同窓会理事
  • 歓談風景♪
    歓談風景♪
  • 同窓会理事より挨拶
    同窓会理事より挨拶

感想文

同窓会には、恩師、現校長始め先生方、同窓会理事の方々を含め、130名のご参加をいただき、盛大な会になりました。
また、二次会の参加者も多数で、懇親会に参加できなかった人も何名か駆けつけてくれて、こちらも大盛り上がりでした。 その後、三次会はそれぞれ行われたと思われます。
当日を迎えるまではいろいろと不安がありましたが、皆さんが楽しんでいる様子を見てホッとしました。 18年の歳月が一気に埋まった気がしました。
皆さん魅力的な人になっていて、とても良い刺激を受けました。 本当に楽しくて貴重な時間を過ごせ、参加して良かったと思いました。
久々の再会に浮かれてお酒を飲み過ぎてしまい、まだまだ話し足りない感じが残っているので、またいつか会える日が楽しみです。
同窓会は、毎年この時期に開催されているようです。 私自身そうですが、知らなかった人も多かったのではないでしょうか? 折角のステキな会ですから、後輩と繋がりのある方は是非同窓会の様子を伝えていただけたらなと思います。 これから参加する人が参加しやすい雰囲気になればいいなと思います。
同窓会事務局長の小山先生をはじめ、理事の皆様、ご指導ありがとうございました。
幹事の皆さんお疲れ様でした!!

大津 直美

あらかじめ宣言しておきたい。
この「懇親会を終えて」は結構長い。また、敬体よりも常体を選んだのは単なる書きやすさの問題で、ほかに意図はないのでお許しをいただきたい。 同窓会の理事の仕事を分担するにあたり、自分は真っ先にこの「懇親会を終えて」の仕事を奪い取った。同じ4組出身だからと、同じ仕事をさせられているOさんには申し訳ない。 が、私は溢れんばかりの自己顕示欲を満たしたいと、いつも考えている男だからしかたがない。
司会をすることも大好きだが、流石にそれを主張して、理事仲間から奇異な目で見られるのは避けたい。司会は、照れ臭い顔して引き受けたあの二人に任せておくことにした。
ま、なんというか、理事仲間と言っても所詮この半年程度の付き合いであるから、どうでもいいっちゃいいのだが、それでも人並み以下とはいえ、羞恥心とか、そういう類のものを持ち合わせていないわけではない。 だから、この文章を書くことを選んだ。
つまりこの文章は自分語りがしたい男が、自分語りをしたいように書いた文章であるから、有益な情報もない上に乱文極まりない。と、あらかじめ言い訳をしておく。

小坂井高校の同窓会の理事である旨を知らせる手紙が届いたのは、勤務先の文化的な行事が一段落ついた初冬のことである。
17年も経っていれば、あの時、つまり卒業式の余韻に浸っていたあの時、軽い調子で安請け合いした理事などという役職についていたことなど、ついぞ忘れていた。先に手紙内容を読んだ嫁さんが、
「憶えてないでしょうけど、って書いてあるけど憶えてる?」
と、苦笑いしていた。憶えてないよめんどうくせえことになった、という代わりに肩を落とした。結構ワクワクしていたにもかかわらず、だ。
どうでもいい話だが、我が家の夫婦仲というのは、ここに集約される。家族向けの行事は全力で楽しい顔をし、対外的なことに関してはつまらない顔をして「イヤイヤなんだよ」というアピールをする。 こうすることで、嫁さんは「あなた一人で楽しんでずるい」を納得させることができるからだ。ということを、私が思っていることぐらい、嫁さんは先刻承知しているが、それでも手の上で踊らせてやろうと考えているであろう。 私もそれを理解した上で、そんな振る舞いをすることが旦那の勤めだ、と高い視点からお互いに思いやっている。

さて、話を戻そう。
私には初恋の相手というのが存在する。Aさんという。小学校1年生のころに同じクラスで字が綺麗で背が高くて美人だった。頭のいい女性には問答無用で惚れてしまう自分としては、幼き頃も同じで惚れた。 算盤塾も同じで小・中学と同じ。ついでに、小坂井高校も一緒。いや、所詮初恋だから、小学2年のころには恋なぞ冷めていたので、高校の時は「あぁ、Aさんも同じか」と思う程度だ。
高校時代、Aさんについての印象はない。
全く顔も合わせてなかったんじゃないかなと記憶している。今思えば、剣道部で臭い汗かいたり、ブサイクのくせに無口キャラをつくってみたりと、灰色の青春を送らずに、 初恋を思い出してAさんをテキトーな遊びに誘ったりして楽しんでおけば良かったと思っているが、童貞少年の自分にそれができたとは思えぬので、仕方がないことだと納得させている。
さて、そんな灰色の青春を送っていた私も、大学を出て、一丁前に外務副大臣や防衛政務次官の秘書をやったりしているうちに(自分の持っていた肩書きの中で最もハッタリが効くので、 いつでも使うようにしている)、自分の生き方にハリボテの自信ができてきた。
そんなの時にやってきたのが、中学の同年会である。今から10年以上前の話だ。
Aさんにあったのだ。Aさんに私は話しかける。高校時代とは違い、もう童貞ではなかった。ハリボテの自信もある。
「俺さ~、Aさんが初恋の人なんだよねぇ」
精一杯の虚勢を張ることは大切だ。軽い調子で話しかけてみたら、Aさんは、へ?という顔をして、
「そうなの?でも、あたしはダメダメだよ」
などと返事をしてくれた。
嬉しかった。
そう、嬉しかったのだ。
Aさんがダメダメなのが、嬉しかったのだ。
あれ程までに賢く、真面目であったAさんがダメダメなのが、嬉しかったのだ。
「そんなことを言わず、がんばろうよーお互いになー」
よくもまあ、下らぬセリフを言ったものだ。私はガキだった。
それから一年が経った。
唐突に友人からAさんが亡くなったらしいことを、噂として聞いた。
息が詰まった。胸が苦しかった。
噂の検証はできない。なによりも怖かった。彼女の死を確定させることが。
「がんばろうよーお互いになー」と、上から目線で言った時の自分の醜さを痛感し、自分の汚れた魂を恥じた。
このことは人生でもっとも自分を落ち込ませ、見つめ直させ、成長させられた3大ネタの一つだ。 ちなみに一つは、5年生の時に自分がブサイクであることに気づいた瞬間であり、もう一つは、中学一年の時に自分の不手際でイジメにあったことだ。 たまに話す相手によって順序は入れ替わり、ある時にはイジメ話のかわりに、国会議員とやらに騙された話とかになったりするが、Aさんのことは不動のものとして変わることがない。
さて、Aさんは生きていらっしゃるのか、それともお亡くなりになったのか。私はそれを積極的に調べる気にはならなかった。当然、生きていてくれたら涙する。 妻子ある身だし、昔のように軽口を叩くようなことはしないだろうが、だが調べない。精々、教訓として、子ども達に「好きだった子の幸せを願うことは大切である」と説くぐらいだ。
そこで、降って湧いた同窓会である。
配布された名簿にAさんの名前は見つけた。当たり前だ。同窓会名簿は卒業したあの日で時を止めているのだから。
もしかしたら、Aさんは出席されるかもしれぬ。そんな淡い期待を抱いた。しかし、理事会の集計では欠席。音沙汰なく欠席。
やっぱり。やっぱりか……。
いやいやいや、まだ決まったわけではない。
当日来るかもしれないではないか。いや、来ていただけるかもしれないではないか。
心底願っていた。あの噂は、根も葉もないデマじゃないのか、と。ただ、単に流れてきただけの噂じゃないのか、と。
結局、彼女は会えなかった。安否もわからない。しかし、そういうことにしておく。
シュレディンガーの猫を例えに出すのは、中二病を患っているように聞こえるであろうし、Aさんにも失礼だ。 しかし、「そういうことにしておきたい」思い出というのは、人生に存在してもいいんじゃないだろうか。

次は、小坂井高校で受けた最も衝撃的な出来事に触れておこう。 この事件は自分が全く関わってないにもかかわらず、我が家の夫婦の危機を演出したり、今でも深く教訓となったりしている事件である。 理事会のちょっとした話題で思い出し、Oさんに聞いたら覚えていないという。あのような衝撃的な事件を忘れるなど、本当だろうか。
あれは最後の文化祭だった。文化祭は、私の中でどうでもいい感じのある小坂井高校の行事だった。 バンドが歌ったり、コントしていたりしたけれど、正直覚えていない。所詮、漫画のような学園祭など漫画すぎないのだと思っていたと思う。
たぶん、この認識は間違っている。
なぜなら私は大学時代の学祭も覚えていないからだ。いくら福岡の貧乏な国立大学だったとしても、学祭がくだらないってことはないだろう。 しかしながら、4年間全く記憶が全くないというのはおかしい。おそらく、自分が面白くなくさせていたのだろう。
人に面白くしてもらわなければ、面白みを感じれない奴は文化祭を楽しむことができるわけがない。 踊る阿呆に見る阿呆なら、さしずめ私は阿呆にもなれない奴だったということか。
まぁ、当時の私は前述の通り漫画みたいな文化祭などないのだと思っていたので、基本的に図書館で「あさきゆめみし」を読みふけっていた。 漫画みたいな文化祭がないなら、漫画を読んで過ごそうではないか、という情けない発想だ。
話はずれるが、ここで読んだ「あさきゆめみし」はオススメである。 少女漫画であるが、読みやすくツボが抑えてある。原作は源氏物語で、物語全体を把握するには持って来いの作品だ。 事実この作品と出会ったから、私は勉強もしないのに、センター試験の古文では満点をとることができた。 む、そう考えれば「文化祭など受験生の邪魔だから図書館で勉強していました」と嘯くことができる。 灰色の青春は、勉学熱心な青春と言い換えればいいじゃないか。
本筋に戻ろう。今、小坂井高校にいくと北校舎の4階に「演劇部」とデカデカと貼られている。感慨深い。あの演劇部が、である。 高校の演劇部としてバリバリに活動していた嫁さんにこの事件の話をすると、烈火の如く怒り、なぜか私が喧嘩をふっかけたことになった。 笑えないほど、ひどい目にあった。なにか嫁さんの傷口に触れるようなことがあったのだろうか。
事件は文化祭で行われた全員参加で見させられた演劇でおこった。
演劇部の演技をしている声が聞こえない。内容が理解できない。ダラダラとつまらい無駄な時がすぎて行く。衝撃的なその事件はその時に起こった。
「あと10分くらいだ、我慢しろ」
某先生の声が響いた。観劇している生徒もざわざわしていたのだろう。全校生徒が集中を欠いていたことも認める。
だが、その言葉はない。演者の心を抉り、プライドを根こそぎに奪い、恥をかかせる。「我慢しろ。」という言葉はそういう言葉だ。
演劇部の同輩がなにを考えたかは知らない。ざわざわしたことは、つまらない演劇を見せた彼らが追うべき責任だろう。それを否定するつもりはない。
だが一方で、あの言葉はないと20年近く経った今でも考えている。今の職についてからは、なおさらだ。誇りを根こそぎ奪ってはならぬ。 「ざわざわ」で十分彼らは責め苦を追っているのだから。
演劇部がまだ続いていて、尚且つ、結構自己主張をして活動していることは、その行く末を心配した身としては大変満足だ。 皆さんも一度母校を覗いてみるといい。あのデカデカと掲げられた演劇部の文字を。妙に嬉しい気持ちになる。
この話を思い出したキッカケは、今回の同窓会の総会挨拶の打ち合わせで出た「話が長いのは校長先生かもしれませんね」という理事さんか誰かさんの発言である。
私自身は校長先生の話が長いなどとは、これっぽっちも思わなかったし、とても感動し涙を禁じ得なかったが、皆さんはどう思われただろうか。 それこそ「あと10分だ、我慢しろ」的な感想をもたれたとしたら、私は悲しく思うと同時に、腹のそこから爆笑したいと思う。

同窓会の理事の仕事は、名簿確認が主な作業だ。私的にはこのクラス全員に電話をかけて、安否も含め住所や電話番号を確認して行く作業は嫌いな作業ではなかった。
ただ、電話をかけていると思いも寄らぬ反撃を受けることがある。 ボランティアに近い作業をしているにもかかわらず、勘違いの上に、暴言を吐かれたり、斜に構えた発言をされたりすると、心が折れる。
今回、私の心を最もへし折ったのがBさんだ。 私ととしては毎回同じように電話をしているつもりであったし、なるべく不審に思われぬように素早く自分の身を明かすようにしてきた。
「こんにちは、小坂井高校同窓会17回生の理事の佐々木と申します、○○さんはご在宅でしょうか。 そうですか、実は8月に小坂井高校の17回生のうんぬんかんぬん。」
やや、テンプレートな感じのする電話だったが、テンプレートとは分かりやすいからテンプレート足り得るので問題ないと思う。
最初にお父さんが出られた。今、いないから娘の携帯に連絡してくれとのことだった。
で、私の第一声に対するBさんの反応は、
「あ?え?で、なんですか」
で、なんですか。で、なんですかで、なんですかで、なんですかで、なんですかで、なんですかで、なんですかで、なんですかで、なんですか。だと?
(おいおい、なに気取ってんの。)
ここら辺でボランティア精神が吹っ飛んで行く。もともとボランティアなんてところからほど遠い性格をしている。張り子のトラは簡単に破れる。
(なんか勘違いしておりゃせんですか。もしかして、私を小坂井高校からの電話だと勘違いして、「電話に出てやってる精神」ですか。おめでてえな。)
そう言いたい気持ちをグッと我慢して、なけなしの大人力を総動員させて息を整える。
「名簿の住所にハガキを送らせていただきたいのですが」
「なんの?」
「同窓会の開催のご案内ですが」
「出なくちゃいけない?」
(知るかボケ。)
グッとこらえる大人力。
「そう言うわけではありませんが、ハガキを送らせていただく住所の確認をしています。住所は・・・・・・で間違いありませんか」
「今そこに住んでないけど」
「そうですか、では、どちらに送ればよいですか」
「えー、そこに送っておいて」
あぁん。だが我慢だ。我慢の大人力だ。
「わかりました。ではそちらに送るために、△△様方で送りたいのですが、お父様か世帯主様のお名前を教えていただけますか」
「私、子どもじゃないんで」
「いや、あの今は住んでいないところに手紙を送る時には、そのようにしないと届かない可能性があるので」
「いい、それで送って」
ああ、なけなしの大人力が切れる。
私、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、 子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで、子どもじゃないんで!!!!!
(知ってるわ!十分すぎるほど知っている!同級生やぞ。同級生。つまり35、ないし36。アラフォーだ。俺はハゲかけたおっさんで、あんたはいい年こいたおばさん。 アラフォーで、人生70年なら立派な中年だ。強調は欠如を表す。35才にもなって「子どもじゃない」という発言は、大人になれてないってことの証左だ。 その自覚があるから、わざわざ大人になったことを強調する。子ども扱いするな、と。うぜえし、めんどくせえし、同級生として恥ずかしいわ!)
「子どもじゃないとか、当たり前じゃねえかよ、同級生だろ、いい加減にしろよ。いやね、規定だから、お父さんの名前を教えてもらわなければ送れねえっつってんの。 一緒に住んでねえんでしょ。だからあんたのお父さんのところに送るから、さっさと教えてくれっつってんの。めんどくせえなぁ。」
ブチ切れですよ。大人気ない。電話の向こうでBさんの顔が真っ赤になったのがわかった。でも私の方が顔は真っ赤だ。
「え、あの、もういい」
やや、怒気を含んだ声。
「もういいってどういうこった、おい」
「送らなくていいって言ってるんです!名簿ももういいです、消してください」
早口絶叫系の言葉だった。さらに売り言葉に買い言葉で、私も怒鳴る。
「わかった、削除しておく、それでいいね」
「いいです、そうしてください」
ガチャンツーツー
正しくはガチャン。叩き切ったのは私だ。ツーツーは聞こえない。
とはいっても、一介の同窓会理事が名簿を削除するわけにもいかず、ただ、本人たっての希望のため、高校にも確認の上、住所と電話番号は削除しておいた。 あとに残ったのは悲しいまでの虚しさである。
ここまで読んでいただいて理解して頂いたと思う。私に悪いところがなかったわけじゃ無いことに。いや、むしろ私が悪いことに。 物事を理解できない大人に丁寧に話をしてもだめだということに。35にもなって「子どもじゃない」とか、恥ずかしげもなく抜かすような相手に、ムキになったことに。 なによりも薄っぺらな大人力しかない自分が最も悪いことに。商売相手なら数時間でも対応できるのに、同級生であるというだけで、この体たらく。情けない。
そう言えば、Bさんとの思い出がないわけではない。だが、ここでそれを書くのはただの誹謗中傷になるので控えておこう。 同窓会名簿から住所と電話番号を削除した今、同窓会関係で会うことは永遠に無いのだから。

私の勤務先に小坂井高校の後輩(えんじ色)がいる。今年大学を卒業し、臨時職員として採用された好青年である。 これが非常に真面目かつ機転の効く男で、勤務先でも指導という名のもとに様々な仕事を押し付けられている。 こういう青年をみると嬉しく、ついでに頼もしく思える。これがきっと同窓意識というのものかもしれない。
私の勤務先に小坂井高校の後輩がいた。4年前くらいに大学を卒業し、縁あって職場にきた真面目な子であった。 これも非常に真面目な子だが、どうやら重度のオタらしい。小坂井高校の体操服(えんじ色、但し前述の後輩の3こ上)を着て、様々な作業にあたっていたので、 「女子高生のコスプレかい」と聞くと「そんなことないですよー、コスプレならもっとちゃんとやります、あ、もう、なに言わせるんですかぁ、佐々木さんって聞き出し上手なんだからぁ」とか一息で言っちゃう子だった。 こういう後輩をみると、小坂井高校ってすごいなぁ、と思う。これもまた同窓意識というものかもしれない。
我々は小坂井高校の同窓生である。この事実は100年たっても変わらぬことだろう。そして好むと好まざるとにかかわらず、我々は小坂井高校の思い出を持ち続ける。 小坂井高校とはどのような高校であったのか。我々の小坂井高校時代の思い出はどのようなものであったのか。そして、今の小坂井高校はどのような高校なのか。
これは我々のアイデンティティの一角を占める話である。 「小坂井高校が私のアイデンティティの確立に影響を及ぼしたり、小坂井高校がアイデンティティの一角を占めることなどあるか」と悲しいことをおっしゃる方がいるやもしれぬ。
私の大学時代の先輩には「俺、熊本高校出身だからさぁ」が口癖の奴がいた。私は熊本高校など知らぬ。 ただの一地方の高校としか思えないが、その先輩によると、熊本の一番校で、そこを出ると基本的には東大京大早稲田慶応といった大学にいくのが当たり前だという。 「こんな教育大学なんて、国立の数にいれない。最低でも旧帝大がライン」といっては「じゃぁ、退学しろこのブサイク」と、いつもみんなに突っ込まれていた。 たぶん、彼にとっては熊本高校出身というのが、大学受験に失敗した自分の心の拠り所であったのだろう。明確に彼のアイデンティティの一角を占めていた。
我々には小坂井高校に対して、そこまでの思い入れや誇り、愛があるだろうか。おそらく、その先輩ほどにはあるまい。あったらBさんのような話は出てこない。 我々があの緑のジャージを着て街を歩けないことも、その証左といってよいだろう(これはデザインの問題か)。
ただ少し待って頂きたい。
ジャージの問題や田んぼのど真ん中という立地、なんか中途半端な立ち位置、我々が17回生という微妙に浅い歴史など、言いたいことは分かる。
それでも我々にとって小坂井高校は母校なのである。高校の門前に立てば青春の日々の思い出が蘇り、夏の高校野球をみれば、何回戦まで勝ち進んだかを気にする。 3人集まれば高校時代の思い出を語り合い、月曜朝会の後に音楽とともに行進したことを苦笑いする。同窓であることをに親近感を持ち、妙な仲間意識を感じる。
そう、あの田んぼの真ん中、放水路の際に建つ白き建物は、我々の小坂井高校なのであり、我々のアイデンティティの一部、延いては人生の一部なのである。
そんなわけで、これからも、どうぞ、よろしく。

<懇親会を終えて> 了

<追記>
さて、ここまでが、「同窓会を行う前に」ツラツラと書いた本文である。7000文字程度である。実は事務局の先生と話をした時に、「どれだけ書いてもいいですよ」と言われたので、 「じゃぁたくさん書きますね」と答えた。すると「10000字くらいですかね」と冗談で言われたので、これは10000字書かなくてはならぬという意識が私にはある。
ということで、今までが序文である。本編、「懇親会を終えて」は、ここより始まると思っていい。
さて、この文章がWEBに掲載されることはあるのだろうか。もしかしたら「少し削除させて頂きました」的な話になるのだろうか。それは悲しい。
そう言えば、私が大学に入った後に、「こうして受験を乗り越えた」的な文章を依頼されたことがある。なにせ成績だけ見たら私立6校と国立大学1校に合格した人間である。 わははは、ついに小坂井高校も私のことを認めたか。と、粋がっていた自分は、数学の時間に「お前など大学にはいれるものか。 3月になったら母親と一緒に泣きついてくるに違いない」と詰られたことなど、全力で書いた。 そしたら半分以上が削られていて悲しい目にあった。文章を読む相手のことを考えれば当然のことではある。
しかし、今回はそれを当然のこととしない。全文掲載して頂くことは、もう事務局の了承済みの話である。だから、この文章を通して、私自身が偏執的な人間に見えても、書くことをやめようとは思わない。 まあ、話半分でお付き合い頂けたらと思う。

同窓会当日、ややワクワクがとまらない私は、娘二人と息子をつれてウルトラマンショーを見にいくことにした。テンションの高いうちに家族サービスを終えてしまおうというわけだ。 飲み会に参加する前に家族サービスをしておかなければならない所に、我が家における私の立場というものが見てとれることは、まぁ置いておこう。 我が家でもっともウルトラマンが好きなのが、嫁さんであるということもサービスポイントとしては高い。
場所は蒲郡市の鹿島町。我が家からは30分程度の距離にある。頭の中でテキトーに計画を立てる。10:00出発、途中で御油にあるお墓を参り、オレンジロードを通って蒲郡に至る。 鹿島町に着くのが11:00で、ショーの開始が11:30。30分間のショーを見た後で、嫁さんに運転を代わってもらい、汗だくになったシャツを交換しながら、同窓会会場であるアソシアに到着13:00。 テキトーにお茶をしながら、13日から嫁さんの実家の熊本に帰省するための新幹線の乗車券を購入。13:30会場入り。完璧ではないか。実際計画通りに進んでしまったので、この話にオチはない。 バルタン星人と握手をしてもらったこととか、ウルトラマンに肩を叩かれて嬉しかったといったことぐらいだ。ちなみに会場でOさんに話をしたら寸分の興味ももたれなかった。そんなもんだ。 わかっている。ウルトラマンとか仮面ライダーとかプリキュアとかアンパンマンとか、そういったショーに参加することが大好きといっても理解してくれる人はおるまい。
理解してくれる人はおるまい、という話で言えば、懇親会のなかでC君とお話をした。相手は多分憶えてないし私も覚えていなかったけれど、彼を見つけた瞬間に17年前の思い出が吹き出してきた。 相変わらずの裸の大将然とした立ち振る舞いが嬉しい。
「久しぶりだねぇ」
と話しかけると
「あ、ああ久しぶりだね」
と律儀に返してくれるのも嬉しい。ただ、その後で、
「僕は最近ツイッターをやっていてねオウフ、そのアカウントがこれさ、ヌフフ、でね、僕は彼女を募集していてねドゥフフいやほんと彼女募集中なんだよデフフ、 オフ会とか参加しているよすごくためになってねうんぬんかんぬんでねいやほんとグフフでね、オフ会がね。ゲフフ」
間髪もいれずにそう言われた。うん、めんどくさい。
その後も携帯電話を見せながら、ボソボソと口の中で話されるので、私も全く相槌を打つことなく、ニコニコしながら席を立って離れた。 同輩にこのような人がいたことを17年間も忘れていたことが悲しい。とても楽しいじゃないか。
ただ、彼を理解してくれる人も少ないかもしれぬ。そういう意味では多分彼と私は同じようなものなのかもしれない。同じ分類なのだろう。げふふ。

正直にいうと、同窓会当日は本気でめんどくせえと思うようになっていた。もともと人と付き合うのが嫌いな性質で、経験してきた職歴のお陰でなんとかなっているようなものだ。 「知らない人」と会うのは苦痛に近いものがある。C君と同じようなボッチになったらどうしよう、みたいな。
そんなこんなで、前述したとおり、ワクワクはしているけれど、ストレスが溜まる。嫁さんに、
「憂鬱になってくるなぁ、嫌になってきたなぁ」
と呟くと、
「あんたはいつでもそういって出かけて行き、いつでもそれなりに楽しめる人だから、頑張って」
と、言われた。
まぁ、嫁さんにはお見通しだったのだろう。C君に会ったことや忘れていた同輩にあったことで、私のテンションは結構上がった。

私は人を憶えるのが苦手だ。私自身は結構特徴的な姿(ハゲ坊主デブメガネ巨体)をしているので、相手にはすぐに憶えられるのだが、私は憶えられない。 特に美人は憶えられない。美人の憶えにくさは筆舌に値する。
たとえば、同じクラスの同窓会理事Oさんは相当な美人であるが、だからこそ憶えられない。毎理事会、(この美人さんはOさんだっただろうか、いや、違うような気がする。 あ、話す内容はOさんだ、そうかOさんか。)を繰り返していた。
総会の受付もOさんと組んだが、(この方はOさんだっただろうか、違うかもしれない、いや、なんとなく2週間前に見たOさんはこんな感じだった。 よし、うちのクラスのDさんの話題が出た。間違いないOさんだ。)との確認をしていた。Oさんには大変失礼だったと思うが、気づかれていないことを祈りたい。
忘れていた同輩のE君が来た時に、私は思わず声を出した。
「憶えているよ、そうそう、17年ぶりに記憶が戻ったよ」
これには相手の方が?を浮かべていた。
いや私には憶えがあったのだ。明らかにこの顔は憶えがある。17年前と全く変わっていない顔だ。名前だって記憶に鮮明に残っている。相手が2組だったからといって忘れていない。
ここで、ん?と私の心の中で何かが違うと、引っかかった。2週間前に出会った人の顔について確証を持てないほどの記憶力である。一言で言えば、そんなバカなである。
でも明らかに私にはE君の記憶が残っている。雰囲気も何もかも知っている。変わっていない。肌のツヤさえも記憶通りである。高校時代から36と同じような顔をしているのかと驚くぐらいだ。
まぁ、種明かしをすれば何の事はない。
同業者組合の役員さんじゃないか。
昨年、私は職場組合の代議員をやっていた。そのため、毎月E君とは顔を合わせていた。そりゃぁ憶えがある顔で、E君からしてみたら、お前なに言ってんのレベルの話である。 そんな話をしていたら、同じ地域のご同業者が4人、隣の地域のご同業者が1人いて、あら結構ご同業が多いのね的な話で苦笑いをした。
みんな、出世したら私のことを忘れないでください、同窓生の佐々木をよろしく、と心から思う。

苦笑いといえばFの発言である。Fは剣道部の仲間で、数年に一度は集まって酒を飲んでグダグダ話込むのだが、一年ぶりに会った会場で開口一番、
「ハゲたな、Gに追いついたじゃないか」
とのたまった。うるせえ。なんでもFも自分の頭髪の退行に対して危機感を抱いていたらしく、私が彼よりもハゲ具合で抜かしたことがとても嬉しいという。 10年ほど前、私が秘書業に勤しんでいた頃、相手をしていたジイ様達が、
「この歳になると、話すことは薬の話と孫の話と老化の話だな」
と言っていたが、来せずして老化の初期症状であるハゲについて話してしまった。Fによるとリアップがいいらしい。しかしリアップも、同様に話題に上がったスカルプもン千円はする。
「んでも、小遣いがなぁ、少ないんだよなぁ」
という小遣い少ない談義は、子育て世代の話題としては相応しいか。ちなみに小遣いは20000円程度が主流な気がする。共働き世帯は分からぬが、私のような単収入子育て世帯はしょうがあるまい。 今回の同窓会でもそんな小遣い話の一つで、旦那に小遣いをやっていないという猛者がいた。勤め先を聞くに、明らかに私よりも年収の多そうな職場である。
「飲み会にはいかないし(いかせないし)、お金を使う所がないじゃない」
と平然とのたまう姿に同年代主婦の恐ろしさを感じる。君達は我々がこの17年間でハゲている間に、鬼の仮面をつけたのかね。と言いたい所をぐっと堪えた。 所詮、夫婦の内情など他から見て分かるものではあるまいし、客観性をもたせる意味もないことだ。その夫婦が幸せなように暮らせばいいはず。うん、きっとそう。

この同窓会で19年に渡る引っ掛かりが一つ解消された。Hとの不仲である。いや、不仲と言っても別に強烈な喧嘩をしたわけではない。 Hは、どういう話にせよ、小坂井高校に入学して初めてできた友人である。名簿順でたまたま前後だったということがスタートだった気がする。 気さくに誰とでも話す奴で、まぁ、私みたいな人間にも軽い感じで話しかけて、さらにアイドルのオーディションに誘うという蛮行を犯した男である。懐かしい。 アイドルのオーディションにコンビで応募しようぜと言われたのは、36年生きていてもあれが初めてで、これからの人生を考えれば最後であろう。 まさに空前絶後である。いくら引き立て役としても、お前なに言ってんのレベルである。
私は自分がブサイクであることをしっている。小学校の5年生の時に校舎の窓ガラスに浮かんだ自分の姿を見た時に、ブサイクであることを自覚し、ブサイクであることを嘆き、ブサイクであることを受け入れた。 少女漫画に出てくるようなイケメン男子になれるわけがないことを理解していた。ストップひばりくんのように、女装が似合う男子でもないことも理解していた。 他の人間がどういう経緯で大人への第一歩を踏み出すかは知らぬが、自分にとっての第一歩は間違いなく、自分がブサイクであることを受け入れたあの瞬間である。
そんな私にアイドルのオーディションを受けろという。しょうがないので取りあえず生返事をした。当然、オーディションに応募するようなことはなく、Hからは意気地なしと罵られた。
まぁ、それでも不仲になるようなことはなかったが、私の性格的な問題であろうか。決定的なことが起きた。当時の私は結構どうしようも無い人間だった。 人の嫌がることと自分の嫌がることを、同じように考えられない人間だった。言い回しを簡潔にすれば、人の気持ちを考えられない奴だった、という感じか。そのために簡単にHを怒らせた。 自分では別に大したことではないのに、と思っている所がタチが悪い。その日もHのお弁当箱からウインナーをとった。 あまりに稚拙過ぎて今更語るのも恥ずかしいが、ウインナーをとった。もちろん食べた。
Hは当たり前だが怒った。
なんでお前取るんだ、と詰め寄られた気がする。ああん、と思ったので、
「赤いウインナーはやっぱりまずいな」
と返した。
どうしようないクソガキである。素直に謝らねばならぬ、という気持ちなど少しもなかった。当然、Hは烈火のごとく怒り、あまりに怒ったので、冷ややかな目で私を見て、もういい、と呟いた。 それ以来ほとんど話すことなく3年間を過ごし、今に至る。いや至っていた。
久しぶりにあったHはチャラかった。
「お、Hじゃないか。」
「おお佐々木か」
などと会話がスタートした。当たり障りのない会話からスタートし、近況を軽く交わし、ウインナーの件を謝った。
「17年ぶりに謝らないかんのだけど、ウインナーの件は悪かったな」
「え?んなことあったっけ」
と、Hは首を傾げていたが、思いついたように話し出した。
「そういや、喧嘩したな。佐々木がどうでもいいようなイタズラをして、それについて追求したら、なにいってんだみたいに返してきたんで、うるせえと思って疎遠になったな」
うむ。その通り。ウインナーだったのだよ、それが。と付け加えて一応許しを得た。
実は心に引っ掛かりはあったが、そんな昔の棘など痛みを感じてはいなかった。同窓会が近付くに連れてゆっくりと記憶が蘇ってくるような話だった。
しかし、終わってみるとこれが実に気持ちがいい。後悔先に立たずというが、私はあの一件をそれなりに後悔していたらしい。そして反省もしていたらしい。Hに許してもらえて心から嬉しかった。
ありがとう、同窓会。

懇親会はダラダラとしゃべるに限る、というのは理事の一致した意見だった。なにせ17年振りに会う面子である。話すことはいくらでもあるだろう。
ただ、である。
話すことはいくらでもあるだろうが、話していいことはさほど無いということを考えていなかった。例えば避けたいのは、女性への婚姻関係の有無である。セクハラであるし、気まずい空気が流れかねない。 明らかに姓が変わったというのはよい。赤ちゃんを連れている人には可愛いね?、何ヶ月?ん、その感じは3ヶ月か、4ヶ月だね、とかいっておけばいい。しかしそうで無い人には、自分の近況を話すことすら躊躇われる。
こうなるとやはり話す内容は高校時代の話だが、高校時代の自分はやめておけばいいのに第二次中二病発症期であり、恥ずかしい思い出しか無いので、ここら辺は男同士でバカ笑いをして笑い飛ばすに限ると考えていた。 だから話題としてあげられるのもが無い。
有り体にいえば、クラスの席で私の居場所がなかった。二組の同業者集団と話したり、剣道部のJと語ったりする程度だ。うむむ、ぼっちは辛いのう。いやいや、そのなかでHと話して和解できたから、まぁいいや。 イベントを開催したりすると、ぼっちになりやすい人間達は少しホッとするのかもしれぬ。次は気をつけておこう。次は無いのだけれど。
会の運営ということでいえば、同輩のKが料理した食事は美味しかった。うむ、あのでかい巨体でこの様な料理を作るとはやるのう、と感心した。
そういえば前述した、小坂井高校文化祭の数少ない思い出のライブは、Kがボーカルだか、ギターだかを務めていた様な気がする。 どんな曲を演奏したのか全く憶えていないから申し訳ないけれど、あれから17年が経ちマイクをふられて「俺、あんまり人前で話すのは好きじゃ無い」と言っていたのが意外だった。 美味しい料理をありがとう。感謝している。
恩師の先生方には、変わらぬ姿を見せて頂いたことに、感謝したい。ありがとうございます。 同輩のLが花束贈呈で言った様に、あの時のガキだった我々を心配していただき、卒業に導いていただいたことを心から感謝している。 おっさんにならないとわからないことがたくさんあり、その一点においては歳をとることも悪くないと思う。

2次会ではFやH、Lといった面子とベラベラしゃべっていた。Lの再婚を祝福したり、Hが名古屋でどんな目にあったかなど、ダラダラダラダラとしゃべっていた。 Fは剣道の6段などという途方もない段位を取得したらしくすげえな?と感心したりしていた。
中学時代からクリエイターになりそうだったMはやはりデジタルクリエイター的な感じになっていて、斜めに立っていたので面白かった。mixiを一年に一回くらいはチェックしているよ。 数年前にmixiで絡んだウザい女は、実は私だったのだけど、まぁそれを言うのはやめようと心に誓った。憶えてもいないだろうしな。そろそろ私も落ち着かねばならぬ。 いつまでもイタズラをしてまわる歳では無いだろう。
だんだんグループわけが進んで行き、それぞれのグループのカラーが出てきた。タバコを咥えて天井に煙をぷはぁーと勢いよく吐いている女性集団がいた。 17年という年月は若々しい少女を、あの様な場末のスナックにでもいそうなおばちゃんにするのかと、絶望した。大人になったのでタバコを吸うのをやめた自分としては、苦笑いしかない。
突然、帰りたくなってしまった。会費は当然払っているので、問題は無いだろう。ということでトイレに立つふりをして、誰にも言わずに出てきてしまった。 FやLといった剣道部の面子にも話をしなかったのが心残りだが、あいつらは、きっとわかってくれて許してくれている、と思っている所が私の成長していない所かもしれない。
駅までブラブラ歩いてきたら、17年前の自分らとさほど年の変わらぬ少年少女達がバンドの曲にあわせて頭をスイングさせていた。 とてもあの集団に入って行って一緒に頭を振ることなどできぬなぁ。とぼーっと考えて時間を潰した。
君達、青春は結構短いんだぜ。

さて、最後にAさんについて再び触れておこう。気は進まないが、知りたいと思う気持ちは止められない。せっかくなので聞いて歩くことにした。
私の娘と同学年の娘を持つNさんは、たしかAさんの家のそばに住んでいたような記憶がある。二次会でちょこちょこと近づいて聞いてみた。 すると、よく分からないけれど、そうらしいとの返事。一度病院で見たよと言う話だ。
そうか、と思う。
やっぱりそうなのか、と思う。
次に小学時代からの有名人のPさんに聞いた。関係ないけれど、Pさんは小学校のうちのクラスの担任に「ませているという言葉の意味は、 隣のクラスのPさんみたいな子をいう時に指す言葉よ」と言われていたが、見るたびによく分からない進化をしている。
まぁ、人間的に魅力のある女性であることには違いあるまい。
「あ、多分、生きていると思うよ。10年くらい前にそんな話があったけれど、違うと思う」
即答だった。その後、よく分からない根拠を述べられていたけれど、ありがとう、と、それだけ言って別れた。
嬉しかった。嬉しい。確定じゃないけれど、もういいや。
私の中ではAさんは生きている。
生きている。
そう、それでいい。
それ以上の情報はいらない気がする。
ああ、すごく幸せな気持ちにさせてくれるじゃないか。
涙がこみ上げてきた。
ちょっと泣きたかったので、二次会を飛び出してもいいんじゃないかな。とも思ったりして。

さて、懇親会を終えての追記を閉じようと思う。
本稿の終わりにも書いたが、実際に懇親会を終えてみると、成る程小坂井高校は私のアイデンティティの一角を占めている。 感謝したいことがたくさんあるし、感謝しきれぬこともたくさんある。それに気付けたことも自分としては驚きだ。
無粋な言葉を並べるのは得意だが、今回はこの一言で締めておきたいと思う。
みなさん、ありがとう。

<懇親会を終えて> 了